埼高教第53回夏期講習会<講座1>
「反貧困〜現代の若者の実態と、高校教育に望むこと」(そのA)
『もやい』事務局長 湯浅誠さん
社会全体で支えていかないと
あとはそういうことがないと、ますます孤立していく。さっきの二人目の方は典型ですけど、メールには「誰も知らない、一人も知っている人がいない東京・新宿をさまよっている」と書いてあって、最後が「生きる意味がまったく分かりません」となっている。本当に自殺すれすれの所に追い込まれてしまっているわけです。こういう状態で放置されていると、自殺というのはいわば自傷ですけど、他害というのに向かわないとも限らない。秋葉原の事件なんかは、彼自身は派遣で働けていた人ですけど、そういうことが起こらないとも限らない、と思うわけです。そういう意味では、やはり社会全体で支えていかないと、なかなか難しいだろう。
みんな人に頼っちゃいけないと思っている
よく誤解されていることで、これは一言付け加えておきたいんですけど、こういう若い人たちは「生活保護を受けたい」と相談に来る人は、あまりいないんです。よく「若い人が生活保護を受けるのはけしからん」と、「もっと頑張って仕事を探してみろ」と、これは役所に行っても言われるし、一般的にもそういう論調をしばしば見かけますけど、それはみんなそうしてるんです。つまり、手元に3000円でも4000円でも残っていたら「人に頼っちゃいけない」と思っているんです。みんなそうです。なので、たいていわれわれの所に相談に来る人は、「もう100円しかなくなった」とか、「20円しかなくなった」とか、相談に来なさいと言っても行く交通費がないとか、そういう人がたくさんいるんです。だから、警察で借りて来たり、お金を送ってもらってそれで来たりということで大変なんですけど、なんでそんなになるまでほっとくんだと思うんですけど、それまではずうっと自分で何とかしなきゃいけないと思って就職活動とかしてるんです。そんなに簡単に人に頼っちゃいかんと思ってるんです。だって学校でも、家庭でも、職場でも、ずっと言われて育っているわけです。「人に頼っちゃいけません」と。「自分で頑張って生きていきましょう」と。それはだから、そう思って現に生きていける人と、そう思ってるけど生きていけなくなっちゃった人がいるに過ぎなくて、生きていけなくなった人がそういうふうに思っていなかった、あるいはそういうふうに頑張っていなかったという話ではないんです。なので私たちの所に来るときには、本当にどうしようもなくなっちゃってるというわけです。就職活動するにももうできない、やるお金がないという状態になっちゃってて、それで相談に来るから、逆に言うと、もう生活保護を使う以外に方法はないわけです。日本のすべての制度をひっくり返して「もうこれ以外あなたが生きていく方法はありません」と、自信を持って言えるわけです。そうすると本人は嫌がるんです。「生活保護というのは高齢者や障害者が受ける者であって、自分のような人が受けるものではないですよね」と。そういうふうに思いこんでますから。それでこちらが、「そう言うなら受けなくてもいいよ。でもそれ以外にどうやって生きていくんですか?」と聞くと、しばらく考えてから「確かにもう生きていけない」と思い至ってもらって、それで渋々同意してもらって生活保護の申請に同行する、これが典型的なパターンなんです。なので、生活保護を受けて楽をして暮らしたいと思って相談に来る人なんていうのは、まずいないんです。そこの所はぜひ誤解のないようにしていただきたいと思います。
底が抜けて、世の中がバラバラと落ちてきた
そういうなかで相談が多様化してきています。マスコミの方なんかに「どんな方が相談に来てるんですか」と聞かれるんですが、昔は「元日雇いやっていて、いま野宿している人とか、母子世帯の人たちなんです」と答えられたんです。いまはもう「こういう人たち」と言えなくなってしまった。答えるならば「多様化です」としか答えられないんですが、年齢も性別も家族構成もバラバラです。たとえば去年相談に来た人で、彼は19歳の男性で、中学2年生の頃から学校に行ってない、「不登校」の人で、高校にも行かず、19になっても働いていないという中で、お父さんと暮らしていた父子家庭の人なんですけど、お父さんが日給月給の経理の仕事をしていたんですが、鬱病になってしまって働けなくなってしまって、二人で生きていけなくなって、お父さんから「死にたい」といって電話がかかってきたのが最初なんですけど、来てもらってみたら本人は社会生活をしていないので、髪もひげも伸び放題、目が悪いんですが眼鏡もかけていない、聞いたら家庭の体をなしていなかったですね。家にガスが通ってないし、布団もない。それでそれぞれが寝たいときに寝る、そういう生活をしていて、親子関係も煮詰まっていたので、これはいかんと思って、お父さんと切り離して、本人は本人で生活保護の申請をして、親は親で生活保護の申請をして、われわれの方で引き取ったような感じになりました。それでまぁ、何をしたというわけではないのですが、用があってもなくても、とにかく「もやい」の事務所に来てもらって、一緒の時間を共有するようになりました。そしたら、これは私も勉強になったんですけど、だんだんなんにもしゃべらなかった人間が、「別に」とか「特に」とかしゃべるようになって、笑うようになって、あいさつができるようになって、そうすると目が悪いから眼鏡をかけるようになって、いつのまにかひげを剃るようになり、髪を切るようになり、そしてそのうち半年くらい経ったところで、「退屈だ」というようになったんです。それまで半年間「退屈だ」なんて言ったことがなかったんです。なんにもしていなかったんですけどね。人間というのはある程度落ち着いていると、「そうか、なんかやらなきゃ」という気持ちが起こってきて、何もやっていない自分に対して退屈さを感じられるようになるんだなって、退屈さを感じられるって言うのはそういう意味で、気持ちに余裕が生まれてきたってことなんですけど、それで退屈だって言い出したので、私が関わっている仕事の団体で便利屋の「あうん」というところがあるんですが、「じゃぁそこでアルバイトしてみるか」と言って、まぁ最初は行ったり行かなかったりで全然当てにならなかったんですけど、そう言う意味では一般就労だったらまったくだめで、あうんだから行かなくても笑って済むみたいな、そういうところだからできてるという感じでしたけど、そのうちだんだん楽しくなってきたみたいで、仕事に行くようになって、2月に入ってからだったか、定時制の高校に行きたいと言い出したんです。それで試験を受けたんですが、まぁ、中学校から全然学校に行ってないわけで、試験に受からないんです。それで1次で落ちて2次でも落ちて、3次でようやく定員割れした定時制の高校にはいれて、それでいまは週5日「あうん」でアルバイトしながら、夜になると定時制の高校に行くという生活をしているんです。彼のようなケースは、1年で別人のようになった、そういう感じがありますけど、その彼もずっとほっとかれてたら、ホントにあのままですよ。
他にもそういうのがいっぱいあります。そういう未成年の人なんかも含めて相談に来るわけですし、それから「もやい」は毎週土曜日に「サロン」っていって居場所づくりとしての喫茶店をやっていて、DVの女性とかが子連れとかできますから小学校2年生、3年生とかを連れてきたり、そうかと思えば昔野宿してたとかいう80代のおじいさんとかもいて、恐ろしく多様化した世代構成の方が入れ替わり立ち替わり来ているっていう、そういう状態になります。
それは私の側から言うと、世の中が落ちてきたという感じなんです。私は、自分がホームレス問題をやってて、いまでも基本的にはそのフィールドから動いたつもりはないんです。ずっと同じようなことを、同じようなテーマの問題をやってるつもりなんですけど、だけどそうしているうちに、世の中の方が落ちて来ちゃった。ホームレスじゃない人たちが、かつてホームレスの人たちが陥っていた状況にバラバラバラバラ落ちて来たというイメージがあります。底が抜けたようなというような感じです。
労働相談と生活相談の区別がなくなってきている
そういうふうなところを、なんでそうなっちゃったのかというあたりで簡単におさらいしておきたいのですが。かつては生活の相談に来る人は労働市場からはじかれちゃった人だということに、おおむねなっていたと思います。もちろん母子世帯のように、働いていても食べていけないという人もかつてからいたわけですけど、でもおおむねそういうふうになっていたと認識されていた。逆に言うと労働市場の中にいる人たち、働ける人たちは、働いていれば食って行けたはずなので、そういう人は生活相談には来なかった。行くとしたら労働相談に行くというふうになっていたと思うんです。だから生活相談と労働相談というのは来る人たちも違うし、担い手になるのも別の人たちだというふうに、キレイに分かれてるもんだと思われていると思うのですが、いまはもうそうじゃなくなってきている。非正規の人たちで「働いているけど食べていけません」という人たちが、ふつうに相談に来ます。とすると、「貧困ライン」というのが労働市場の中に食い込んじゃっているわけです。そこで起こっていることのひとつの帰結は、労働相談と生活相談の区別がなくなってきているということです。いま私たちの所に相談に来る人の中で、労働の相談をかかえている人、労働のトラブルをかかえている人、あるいは労働相談に行く人で、生活のトラブルをかかえている人、こういう人はますます珍しくなくなってきています。それが何を意味しているかというと、相談を受ける側にネットワークがないと対応できないということになってきているということです。たとえば労働相談に「不当に解雇されました」と、「解雇撤回闘争をやるか!」というときに、その人が「明日から食っていけなくなるんですが、どうしたらいいでしょうかと」いう話になるわけです。その時に生活の相談を片づけなければ、労働の相談も取り組めない。そういうふうに考えると、労働の相談は受けるけど、生活の相談は知らないよと言っちゃうと、もうそこでその人との縁は切れちゃう、「あそこに相談しても結局だめだ」ということになるわけです。もちろん自分たちですべてのトラブルを引き受けることはできませんから、そうすると必然的にそういうネットワークを、地域やいろんな分野との連携の中で持ててるかということが、個別の解決能力ということに直結しちゃうという状態になってきているわけです。これは労働と生活に限らない。たとえば多重債務を背負っている人とかもたくさんいるわけです。じゃあその問題はどうするのか。それも自分たちには分からないから自分で何とかやってねと言っちゃうと、電車の中吊り広告にあるようなやたらと金を取られる多重債務整理の法律事務所かなんかに行ってしまって、生活保護を受けてもその大半を持って行かれてしまう。それで生活は全然よくならない。なんていうことになってしまうわけです。そういう意味ではいま非常に相談を受ける側にとっても、いろいろなネットワークを作ってコーディネーター的にそれを割り振る、サポートする、そういうことができないとひとつの問題を片付けられない、というようになってきているんだと思います。
(to be continued...)