埼高教第53回夏期講習会<講座1>

「反貧困〜現代の若者の実態と、高校教育に望むこと」(そのC)

   『もやい』事務局長 湯浅誠さん

胸のバッチはヒンキーバッチ

日常風景の中で、勝ち組なんてどこにいる?

 また、これも「就労基本調査」によると、進んでいるのは短時間就業と長時間就業の二極化なんです。広がっているのは過労死か貧困かという状態ですよというのが、政府の資料からも裏付けられたわけです。そう思ってみると、こないだ気づいたんですけど、私は所沢に住んでいるんですが、都内で活動して池袋から帰るんです。だいたいいつも遅くなって12時とか12時半とかに池袋を出るんですが、電車の風景が変わったなと、そう思ってみると…と思ったんです。私が学生だったのはもう20年も前になるんですが、その20年前も郊外に向かう夜中の電車は混んでいたんですね。その頃の電車の中って、乗るとぷーんとお酒のにおいがしてきたり、ドアに寄りかかった40〜50のおじさんが、膝をがくがくさせていまにも崩れ落ちそうだったりしてて、イヤだなぁと思って逃げていっていた、そんな覚えがあるんですけど、いまはあんまりそういう光景は見なくなったように思うんです。電車は相変わらず混んでるんですけど、どっちかというと目立つのは30代くらいの若い人で、まだネクタイをきっちり締めていて、疲れて寝てる人とか、携帯やってる人とか、まぁいわゆるサラリーマンスーツじゃない人も増えましたけど、そういう人はきっと非正規なんだろうと思いますが、スーツを着ている人たちはきっとあの時間まで働いていたんだろうと思うんです。そういうふうに見て、まず満員電車の風景が変わったなと思うんですけど、今度は自分の駅について、時間は12時半とか1時になっているわけですけど、夕食を食いそびれた時にはコンビニに寄ったり牛丼屋に寄ったりするわけです。じゃぁ、そこでは誰が働いているかということです。それこそ私が学生だった頃は、コンビニでレジをうったり、牛丼屋で牛丼をよそったりしているのはだいたいが学生でした。それがいまは40〜50の人が外国人の方と一緒に普通に働いている。あの人たちにとって、そのお金はお小遣いではないはず、生計費であるはずです。そうでもしないと食っていけないから、こんな時間にパート・アルバイトをしているわけです。そうしてみると、一体自分たちの日常風景の中で、どこに勝ち組がいるんだろうということになるわけです。世の中には勝ち組と負け組がいると言われているわけですが、正社員が勝ち組で非正規が負け組とか言われるが、私が帰ってくるこの道すがら、誰か勝ち組に会っただろうかと考えると、たぶん会ってないですね。それはよくよく考えてみると当たり前で、勝ち組の人はだいたい、そんな時間に郊外に向かう電車で帰らないんです。彼らはタクシーで都内のマンションに帰るんです。そもそもあの電車には乗ってないんですけど、でもまぁ実際に、われわれの回りに広がっている風景に、ほとんど勝ち組なんていない。それが実状じゃないかと思うわけです。だとすると、正規と非正規がいがみ合っている事態というのが、いかに現実に即していないかというのが分かると思うんですが、それが労働市場の状態です。

労働市場からはじかれたら、そこにセーフティーネットはない…

 ではその労働市場の外はどうなっているかという話です。雇用保険もどんどん切り詰められていっている、そして生活保護も「水際作戦」でそうそう簡単に受けられない、となれば、そこから排除されちゃう人たちが大量に生まれるというのは、もう見えていることで、いま生活保護基準以下で暮らしている人たちは、学者の試算ではおそらく600万から800万人いるということになっているわけです。その中の一人がさっきのようにわれわれのところにメールを送ってきたりしているわけです。今日ここで言っておきたいことは、まぁ細かい数字は『反貧困』を読んでいただければいろいろ挙げてありますが、ここで言いたいのは、いわゆるワーキングプアという人たち、つまり労働市場の中で食って行けるはずだった人たちに対しては、労働市場の外に、本当にセーフティーネットがきいていないということです。たとえば非正規の人たちが解雇されても、雇用保険、失業保険に入ってもらっていないので、失業給付を受けられなかったりする。あるいは受けられる人でも、その給付期間はどんどん切り縮められていっている訳です。2001年までは10年未満で30代なら210日受けられたわけです。だけどそれが120日に削られて、いまでは90日、かつての半分未満にまで削られているわけです。ということは失業しても、次の仕事が見つかる前に給付が切れてしまうという人が、必然的に増えていくわけです。で、その人たちがどうするかというと、生活保護を受けないと生きていけないから生活保護になるわけです。つまり、政策的に生活保護に流し込んでるわけです。なのに、数が増えて困ると言ったりする訳なので、われわれからすると「ふざけんな!」っていう気がするんですけど、実際にそういうことが起こっているわけです。で、働ける人たちは生活保護からも排除されている。もうこれはくどくど言う必要もないことですが。  となると、この人たちはどうやって生きていくんでしょうという話です。この人たちには民間の福祉のネットもないんです。日本の民間に福祉のネットというのは、子どもか、障害者か、高齢者か、 基本的にはそこにしか張られていないわけです。なぜならこの人たちは働けないと社会から公認された人たちだから、別の対応が必要だという発想だからです。つまりここでも働けるか、働けないかがメルクマール(=指標)になっている。実際に働いているか働いていないか、食って行けてるか行けてないかは問われないわけです。

「ノー」と言えない労働者となって労働市場に戻ってくる

 そうなっていくと結局その人たちはどうなるかというと、その人たちは労働市場に戻っていくんです。それはどういうふうに戻っていくかが問題なんですけど、さっきのメールのような人も、それでも食って行けなければ労働市場に戻っていきます。その労働市場への戻り方っていうのは、つまり、「どんな条件でも働きます」、「どんな現場でも文句は言いません」、「どんなに話が違っても喜んでいきます」と、とにかく今日明日食うものが必要なので、今日明日食える賃金をくださいと。つまり一切「ノー」と言えない、完全に「ノー」と言えない労働者となって労働市場に戻ってくる。そうじゃないと生きていけないからです。どこも支えてくれるものがないからです。そうなると、そういう人たちが労働市場にばぁっと増えていくことになりますから、会社にしてみれば「なんで1万円もかけて人を雇わなきゃならんのか」と、「5千円で来るやつがいくらでもいるじゃないか」となっていって、そして労働市場全体が危機的に切り下がっていくということになるわけです。つまり何を言いたいかというと、労働市場の中というのは、実は労働市場の外のあり方にもかかっているということです。広い意味での社会保障のネットというのは、あるかないかで労働市場の質というのが決まってくる、そういう面があるわけです。たとえばフランスで3年ほど前に25歳以下の若者の失業率が高いから、じゃぁ、この人たちに正規雇用を用意しようと言ってフランス政府が打ち出したところ、フランスの若者たちが膨大なデモを起こして、その制度を廃案に追い込んだということがありました。フランスの若者はたいしたもんだ、日本の若者はそれに比べてだらしないなと思った人もいるかもしれませんが、フランスというのは曲がりなりにも福祉国家の体裁を作った国ですから、いまは崩れてきていますけれども、それにしても労働市場の外で生きていける確率というのは、日本に比べてまだ遙かに高いわけです。そうなると彼らは、あのときのようにまだ言える余地があるわけです。つまり、「そんな非人間的な働き方だったら私たちは拒否する」と。「俺たちは確かに仕事に困っているが、自分たちの労働力は安売りしないぞ」ということを言えるわけですけど、さっき話したように、一切外側にセーフティーネットがない人たちは、そう言ってしまったら自分は死ぬわけですから、そうは言えないということになって、「ノー」と言えない労働者になっていく、ということになるわけです。この「ノーと言えない労働者」の背景には、社会保障のネットのあり方が絡んでいるので、つまり私は労働市場のあり方というのは、労働市場の中だけ見ていても答えは出てこないだろうと、労働市場の外の問題とかみ合わせなきゃいけないだろうと思っています。

高コスト社会でフラット型賃金では、夢は持てない!

 それを別の形から言うとこうなるんです。派遣労働者が夢を持てない、結婚もできない、子どもも作れない、どうすんだとよく言われています。実際そうなんですね。派遣労働者の人たちの賃金は30代で290万くらいで頭打ちになって、そのあとは40になろうが、50になろうが一切給料は上がらない、フラット型賃金なんです。それが厚生労働省のデータでも出ちゃっている。しかもそれは平均ですから、もっと下で生活している人もたくさんいるわけで、それじゃぁ結婚も子どもも生めないだろう、ということになるわけです。でも実はヨーロッパはフラット型賃金なんです。職務給ですから。じゃぁ、ヨーロッパの賃金がフラットで、日本のように40歳・50歳になっても、給料が上がっていかないから、じゃぁ結婚もできないし、子どもも生めないかというと、そうではないですよね。必ずしもみんながみんな高いわけではないですよ。じゃぁなんでヨーロッパの労働者はフラット型の賃金なのに食っていけるのかと言ったら、子どもが1人から2人になったからといって、家計負担がボーンとあがったりしないからですよね。子どもが大学に行くからといって、世界一高い学費を払わなくて済むからです。そういうときのためにずっと貯金しておかなくて済むから、つまり低コスト型のあるいは中コスト型の支出なので、そんなに給料があがっていかなくても生活ができるということになるわけです。逆に言うと日本の年功型の給料がどうしてあんなカーブを描くかというと、そうでもしないと子どもの教育費をまかなえないからです。子どもが育っていけば比例して支出が増えていく、住宅費も高い教育費も高い、児童手当もない、大学の学費は世界一高い、そういうお金を日本社会は全部親が稼いで来なきゃいけないじゃないですか。だからそれくらいないとやっていけないという話になるんです。つまり高賃金・高コストの体質になっていたわけです。これをじゃぁいま、非正規の人たちを全員年功型の賃金にできるか、それはさすがに無理だと私は思います。だとすればどうしたらいいか。もちろん労働市場の中で均等待遇を実現させていくというのは必要です。それを追求しつつ、他方で、いまのこのやたらめったら高コストな支出体質をもうちょっと抑える、社会保障によってもうちょっと抑えられるようにしていかないと、それはどう考えてもやっていけるということにはならないだろうと。もちろんヨーロッパ型にはすぐにはならないだろうけど、やっぱりこれからの日本のあり方を考えるとしたら 、それはいまの高コスト体質を低めていくことと、あとは低所得の人たちの賃金をいくらかでも上げる。いくらかでも賃金カーブに傾斜を付けると。その間を取って日本型の国のシステムを作っていくしかないと思うんです。
(to be continued...)


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